通信制高校についての親子インタビュー

Q. 通信制高校に転校するに至った経緯を教えてください。

(本人)通信制高校へ見学に行ったのは覚えています。中3の夏という中途半端な時期に市外から転校して、出来上がった雰囲気のなかに転校した形だったので、なかなか学校に馴染めなくて、学校に行けなくなりました。高1はなんとか学校に行って、高2の修学旅行までは行けたけど、そのあと学校にほとんど行けていなかった。高3の春に通信制高校に転校することができました。教頭先生か、進路指導の先生に親がアポイントメントを取りました。また、学校が大事にしていることや、私が抱えている不安に対してどのように向き合ってもらえるのか母と二人で見学ついでに聞きに行きました。

転校前の先生たち(転校前に通学していた普通高校)はみんな優しかったです。とりあえず学校に行けば大丈夫、教室に無理して入らなくてもプリントを解いて課題を提出すれば単位を取る形にしてくれました。また、服薬治療もしていて、翌日も眠剤が残ってきつい時もあり、学校に行ってもずっと寝ていることがありました。先生たちは「それでもいいよ」と言ってくれました。体調が悪いときも、調子を見ながら、家で課題を解いて提出するという形で単位を取得しました。すごくありがたかったなと思います。

通信制高校に転校後は近くの高校に月に2~3回スクーリングを受けに行きました。課題はスクーリング中や自宅で解きました。そして一定期間毎にテスト受けて、単位を取得しました。科目は以前所属していた学校で単位が足りなかったものや自分の興味があるものを選択できました。

通信制高校時代はアルバイトもしていました。最初は人と関わるのがしんどくて、ホテルでベッドメイキングのアルバイトに就きました。いつの間にか気づいたら、宴会のウエイトレスをしていて(笑)。いっぱい失敗をしました。転んで食べ物をひっくり返したりして怒られたりもしました。スタッフが少なくて、レストランのウエイトレスをすることもありました。喫茶店にも入りました。何とか高3の1年間は続けました。 入試の直前は担任の先生に会うために本校に行きました。入試の面接の練習をしました。

(母)通信制高校に転校するためにも、自分が納得する学校を選んだ方が良いと娘と話し合い、いくつかの学校に話を聞きに行きました。転校前の学校にいたら、テストの点数も10点とか20点しか取れなかったと思う。学校に全然行けていなかったし、成績が悪かった。通信制高校ではレポート課題を提出すれば、いい点数がもらえ、成績も上がって、びっくりしました。テストではなくて、レポート提出という形だったから良かったのかな。評価の方法が変わらなければ、大学には行けなかったと思う。転校前の学校に居続けて学校に通えていたとしても、今の仕事に就けているかと考えたら、難しかったかもしれないです。

Q. 通信制高校に転校してよかったことはありますか。

(本人)当時は人とコミュニケーションを取ることがしんどかったので、無理をしなくても良かったのはありがたかったですね。通信制高校は全体的に自由というか、のびのびしているんです。それに、私は勉強がとにかく嫌いでした。それでも自分のペースで取り組めました。体育の授業も、とりあえずそこにいればいいよ、という感じ。みんなと同じ種目をしなくてはならないというのも無かったです。今振り返って思うことは、当時はかなり成績が悪かったので転校前の学校に通い続けていたら今はなかった、と感じます。また通信制高校に転校してちゃんと自分の夢ややりたいことを実現する形に持っていけたのは良かったと思います。

私は不登校の頃の記憶が曖昧で覚えていないのですが、「これから先どうなるんだろう。不安だ。」と言っていたと母から聞いています。あの頃はもがいていました。

(母)保護者会でも、気持ちを共感して下さる方が多かったです。ちょうどあの頃、子宮頸がんワクチンの影響で体調を崩し学校に行けなくなり通信制高校に転校したという方もいらっしゃいました。不登校になった背景が、心の問題や友だち関係だけでなくて、自分ではどうすることもできないことで傷ついてしまった子どもの親御さんのお話を伺えたのはよかったですね。

(本人)そうだね。お母さん、保護者会に参加して「こんな人もいるんだね。」って話していたよね。

(母)保護者会はPTAの間隔くらいの頻度であったかな。先生たちも教師的な感覚ではなくて、例えば「自分の子供も不登校です。教職をしながらも、我が子との向き合い方がわかりません。」といったお話をされ、参加者と同じ目線で話して下さいました。気持ちの分かち合いができるというか。なんか、家族会みたいな感じですよね。自助グループのような感じでした。ひとクラス10人くらいの親御さんが来ていたかな。全員参加ではなかったけど。色んな話ができるから、孤立した気持ちにならなかったです。名前も知らないけど、ここに来れば、共感できる人たちがいると思えてすごく嬉しかった。生き方って何通りもあると思いました。喜びや苦しさも何通りもあるとわかりました。うちだけが抱えている問題じゃないと思えました。

Q. 夢ややりたいことを見つけたタイミングはいつですか。

(本人)もともと心理学や人の心に興味がありました。人がすごく好きで、本も読んだりしていました。実は心理士になりたかったんです。しかし、学校に通えるか不安もあり、大学院まで進学できるか悩みました。また、経済的な面を考えました。高校時代、親にたくさん迷惑をかけたから、少しでも負担のないようにしたかった。それと母が精神保健福祉士として働いているのを見て、通院して働き方を見て、こういう仕事もあると思いました。多分不登校のときに精神保健福祉士になりたいと思い始めたんだと思います。

(母)娘は時々落ち込んだりすることはあったけど、中学校の頃までは明るく過ごしていました。吹奏楽も好きで、吹奏楽部の副部長を務めるなど、生き生きと過ごしていました。娘が変わっていく姿を見るのが辛くて、自分たちが引っ越しで転校させなければ、不登校にならずにすんだのでは、と思いました。あの時は自分を責める気持ちが大きかったかもしれない。でも、進路を考えた時に、大学は推薦枠にあれば入学できることを知っていたので、何か他の選択肢で先に進められたらいいなと思っていました。

通信制高校に転校を決めたのは、同学年のままで進学が可能だった事と、自分のペースで勉強しながら興味のある科目に気づき、次に進むきっかけになってほしいと考えていたことが理由でした。学校や病院から勧められた、というのは無かったかな。経済的な面や、学校卒業後の進路、学校が大事にしていることを娘と一緒に話し合いながら本人に合った学校のほうがいいなと思って。制服もいちいち買い直さなくていいという面も含めて判断したかな。一番は本人が「気に入った。行けそう」と思ってくれたからです。

大学は推薦入試で入学する方法もありますよね。夫とも、進学の方法についてはよく話していたのですが、この子は推薦入試を受けさせるしかない、絶対勉強しないぞというのが親としてあった。普段のテストの結果さえ出せれば、一般入試で受験をしなくていいと思った。もうこの子にはその道しかないと思って。そうするための一番の早道はこれだぞ、と自分で考えていましたね。

(本人)え~知らんかった(笑)今、初めて聞きました。私、洋服とか、化粧とかが好きだったから、早く髪の毛を染めたかったし、ピアスを開けてみたかった。転校前の学校は規則が厳しかったから、自由になれるぞと思ったことを覚えています。動機がすごく不純かもしれませんけど(笑)。「やったぞ」って思いました。

Q. 通信制高校に進学して困ったことはありますか。

(本人)将来に対して不安が強かったです。通信高校に転校したことが理由で就職が不利にならないか悩みました。通信制高校に行ったからと言って大学に行けるわけでもないだろうし、通信制高校を卒業した時に、就職はどんなところになるかな、と正直ちょっとだけ不安に思っていました。でも実際に大学に合格できたとき、不安は消えました。

Q. 悩んでおられる子どもさんに伝えたいこと(もしくは子育てに悩んでおられる保護者や支援者に伝えたいこと)はありますか。

(本人)自分のやりたいことがなんとなく見つかったり、自分のやりたいことに目が向けられるようになれば、それに向かってどうしたらいいんだろうと考えていけるようになるよ、と伝えたいです。体調次第だけど、通信制高校に通っている間は時間に余裕があるので、色んなことに挑戦して欲しいと思います。

私は通信制高校に行っている間に、アルバイトをすると同時に、劇団に入団しました。劇団という別の居場所もあったので、そこで救われていたし、出会った仲間とも、今でも交流が続いています。勇気を振り絞るのは大変だけど、自分が気になることにちょっとだけ踏み出してみると、自分がありのままでいられる場所を探せるきっかけになるかもしれません。人との付き合いに自信を失っていたから劇団に入団しようか迷っていました。兄や父に背中を押されて半強制的に連れていかれたんですよ。「何で気になっているのに行かないの」って。でも、それが良かったなと思います。父は私が劇団を休みたいと言っても「それだけは絶対に行け」と言って車に乗せられました。その時は“なんで行かないといけないの?”と思い、送迎中キレていました(笑)。

親御さんたちには、子どものことを信じてあげて欲しいと思います。今はSNSもありますよね。私は、そこで仲良くなった年下の女の子と今でも付き合いがあります。県外に住んでいますがコロナ前までは会いに行くこともありました。その子も当時不登校だったので電話をしたりして気持ちを分かち合うことができました。

(母)自分を振り返ると、「ずっとこのままじゃないはず」と頑なに信じていました。子どもの幼稚園の担任の先生が「指しゃぶりする赤ちゃんが20才まで指をしゃぶっている子はいない」とおっしゃっていたのが記憶にあり、見守ることも大切だと思い、あんまり心配したり、疑ったりすることはなかったです。「一緒に頑張っていこうよ」って感じだったかな。これから先のことについても、あの当時娘の中にイメージできていたわけではなかったと思います。ちょっとずつのステップが形としてこうなったというだけです。大学生になったときも、まず1年生の時は学校に行ければいいって思っていたみたい。2年生になったら、授業にぼちぼち出席できれば良い。3年生になったら、友達が出来て、普通に学校に通う、という、自分なりの目標を持っていたようです。1年生が終わった時、「とりあえず学校に行けたから良かったわ。」と言っていました。

(本人)結果的に、家族からの働きかけが良かったんでしょうね。当時は「押しつけられた」と思っていたところもあったと思います(笑)